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資料:第13回大会開催要項

第13回琵琶湖一周サイクリング大会

開催日程:1998年5月2日〜4日

一般参加者:33名

2日近江八幡YHにて、受付、開会式、交歓会、泊。
3日:実走。近江八幡YHより彦根−>長浜−>奥琵琶−>海津大崎を経て 
   マキノ町、海津天神YH泊。
4日:実走。海津天神YHより、今津−>近江舞子−>志賀−>琵琶湖大橋を経て 
   近江八幡YHへ。そして閉会式。


5月2日(土曜日)

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写真1 一般参加者、60人定員の所、33人。いきなり、これからの存続の危機を感じさせつつも、第13回琵琶湖一周サイクリング大会の初日がやってきた。  これに対し、スタッフは総勢29人、まあ、一般参加が少ないというのは、実走スタッフにとってはありがたいことだけれども、事務局長の伊吹さんは渋い顔。

スタッフ集合は朝8時半。貸し自転車の搬送、バイコロジー運動のための駅前のビラ配り??、参加者/スタッフの名簿などの資料作りなどにそれぞれ分かれて活動開始。弁当を食って、午後一時、参加者受付の開始。

このイベントは、以前の回の参加者も、相当数参加してくれているので、あちこちでスタッフとなじみの参加者が時候の挨拶をしている。
今回は、千葉、仙台、そして北海道と、遠方から参加する人が多いのが特徴。なぜか二十歳代の若い女の子が多いのがうれしい。
YH前の庭では、参加者や、実走スタッフの持ち込んだ自転車の組立てや整備でにぎやかになる。そのうちにレンタサイクルも運び込まれて、3日間つきあうことになる自転車選びも始まっている。  今年も、レンタサイクルは、ミニサイクル(いわゆるオバチャリ)に3〜5段の変速機が付いたもの。これでよく、琵琶湖一周なんか出来るわい。と常々思うのだが、それでも、みんながんばるものである。 写真2

一説によると、年輩の人なんかは、いきなり乗り慣れないマウンテンとか、サイクリング車では、非常なストレスになってしまって却って良くないとのこと。
なんかうまく丸め込まれている感もなきにしもあらずだが・・・

そんなこんなで日も暮れていき、夕食の時間である。
今日のメニューは近江八幡YH自慢の近江牛のステーキ。一度にたくさんは焼けないので参加者から入れ替え制で食事をとってもらう。
あらかた終って、遅いスタッフが夕食を取っている頃、離れの練習場では、明日のコース説明や交歓会が始まる。

参加者の顔ぶれを見ていると、やっぱり、初参加の方は表情が硬い。
デジカメを持って撮りに行っても、顔を隠したり、後ろを向いてしまったり。
スタッフの自己紹介で、ホームページのネタ作り、と言ったのがいけなかったようである。(ここで注意すべきは、撮りに行くのはみな若いをんなの子と言う事情もあったりなんかするのである。) 写真3

つつがなく、予定のプログラムも終了する。消灯時間まで自由時間。  スタッフは、スタッフ部屋に集まり、出発前の最終打ち合わせと言う名前の宴会が始まる。
この打ち合わせ(宴会)は深夜まで及び、寝場所の確保競争に敗れた私は、打ち合わせ部屋のフスマ一枚隣で、眠れぬ夜を過ごすのである。

写真解説

  1. 第13回琵琶湖一周Tシャツ。今年は、今回初めての試みとして、紺地を使用。シンプルにライトブルーの琵琶湖一周のロゴが入っている。おかげさまで評判がすこぶる良い。これまた今回初の試みとして、デザインに日付や回数を入れていない。これは、次回も色の組み合わせを変えるだけでデザインを使い回しできるようにと言う配慮から。(なんや、結局手抜きやんけ。)
  2. 自転車の乗り方教室、って訳ではないけど、自転車安全教室。初参加の方の大部分は、初めて長距離を走る。安全走行の秘訣は、きちんと前を見て走ること。当たり前のようだが、毎回必ず起きる小さな衝突事故の大部分はこれが原因。
    参加者の人たちはまだ、初々しい格好をしている。(なんのこっちゃ。)


5月3日(日曜日)

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  前日の天気予報では雨のち曇り、強風注意報発令、と、なかなかいいコンディションで実走初日を迎える。
晩のうちに雨は降っていたようだが、出発時刻には上がっている。
どうも、降ったり止んだりで行くような雲行きである。
出発前の準備体操が始まる頃、関西テレビの取材班が到着。夕方のニュースのいわゆるヒマネタと言う奴で、準備体操や出発の風景を撮っていく。

写真4

午前8時に出発。今回の走行コースは、琵琶湖周辺の道路整備が進み、市街地などの裏道を通らなくても良くなったこと、及び、湖周道路の湖側の管理道路が全面開放されたために、走行距離も短くなり、走行時間もかなりの短縮が見込まれるため、いつもより30分遅い出発である。

走行中は、小雨程度で降ったり止んだり、一時、強く降るものの雨としてはたいしたことはないものである。が、しかし、風が強い。間の悪いことに、行く先々で向かい風に悩まされることになる。このために走行速度が落ち、結局、例年よりかえって時間がかかってしまったようである。

写真5
そしてもう一つ、悩まされたのがパンク。雨上がりの道路、特に側道なんかは、埃や土が洗い流されるため、ガラスの破片や尖った石ころが直接自転車のタイヤを襲う。自前のサイクリング車等はその場でパンク修理をするが、レンタサイクルはパンク修理後に本隊に追いつくことが難しいため、伴走の軽トラの予備車を降ろして乗り換えてもらう。しかし、休憩地点の彦根港を出るあたりからパンクの頻度が増え、5台の予備車が心許なくなってくる。

昼食場所の奥琵琶スポーツの森に昼1時過ぎ到着。風に押されて、結局例年と同じ時間帯である。
自転車修理班(自転車屋の宮尾さん)は、パンクで積んできたレンタサイクルの修理に掛かりきりとなる。結局、一日で十台近くがパンク。「今日は商売繁盛やなあ」と宮尾さん、残念ながら、今日はボランティアである。
昼の休憩が終わり、あいも変わらぬ向かい風の中出発。このころには雨は上がっているのだが、思い出したように、風と一緒に霧雨が吹き付けてくる。

雨の中では、走行中はみんな押し黙り、雨風に耐えて走っている。が、休憩所に着くと、走行中の忍耐が解放されるように、みんな饒舌となる。この雰囲気がいい。
以前、ひたすら雨、と言うなかで走ったことがある。最初は、暗い気持ちで黙々と走っている。何でこんな中で走らんとあかんのだろう??こんなつらい思いしてまで・・・と言うのが当たり前なのだが、いつしか、休憩所で笑い声が聞こえてくるようになる。
つらい中だからこそ、お互いを真剣に思いやれるようになってくる。ちょっとしたことで声を掛け、奮い立たせあい、そして、同じ境遇の仲間どおし、連帯感が生まれてくる。
私は、常々、「雨降った方がオモロイで!!」と言い続けている。実際、ひたすら晴れているような回はあまり印象に残らないのに対して、雨に悩まされた回、何か事件が起こった回などは、それが強烈な印象となって、「あのときはなあ、」と何年経とうがしゃべり出すのである。 写真6

尾上の温泉街(と言うほどのものではないが)を経由して最大の難所、賤ヶ岳の峠越え。
実際は大した登り坂ではないのだが、ややもすると押して歩くハメになってしまう。
峠の頂上、トンネルを抜け、北湖のすばらしい風景のなか、遅れてくるものを待ちあわせ、点呼。
そこから坂を一気に下りると、飯浦のドライブイン、ここで、自転車をトラックに積み込み、人間の方はバスに乗り西浅井町役場までバス輸送。

琵琶湖一周のここの区間だけは、車の通行量が多いのに対して、歩道が全くない/少なく、また、月出峠の峠道(賤ヶ岳の坂より遙かに長く、きつい。)もあって、警察の道路使用許可が出ない。いつか、パトカーや白バイの先導で月出峠を登ってみたいと思うのは私だけでは無いはずである。

バスを降りて、少し走ると、湖岸沿いに松並木、今はすっかり葉も茂ってしまっている桜の木も見えてくる。そう、桜の名所、海津大崎である。
桜のシーズンにはこの道は車で埋まってしまうが、今は静かに走っているだけ。有数の観光名所だけに琵琶湖の景色は絶品である。曇った空が残念であるが、琵琶湖から吹き付けてくる風が気持ちいい・・・訳がない。(あーしんど。) 写真7

宿泊所の海津天神YHに到着は5時半頃。めざといものは取るものも取りあえず、風呂へ直行する。
ワゴン車で搬送した荷物を受け取り、スタッフ部屋へ。そういえば、朝の取材が夕方のニュースで流れるはず、テレビを点けて、ニュースを待つ。ところが、6時になると、「ちびまるこちゃん」が始まってしまった。しまった、今日は日曜日、いつもとニュースの時間が違う、そしたら、どこで流れるんや、ヘタしたら、11時までニュース無いで。
ということで、みんなでちびまるこを見るハメになる。

それが終わる頃、夕食。
食堂に行くとみんなで手分けしてご飯、みそ汁を配っている。みんな明るい、わきあいあい。昨日の夕食の時とはまるで違う。あたりまえや、なんせ丸一日、みんなで一緒に走ったんやから。
夕食後、ミーティング。ところが、他の宿泊客が夕食を取っている。みんなは、今日一日走りきった興奮からか、ちょっとハイになっている。しかしここは静かにせんとね。「こら!!静かにせんかい!!」スタッフの皆様。ご苦労様です。

この日のプログラムもとどこおり無く終わり、我らスタッフは、離れの通称宴会部屋にて、打ち合わせ(と言う名前の宴会)。

夜も更け、ぼつぼつ寝に帰るスタッフが出る頃、宴会部屋の隣の小体育館では中学生トリオが女の子一人(と言っても二十代)を巻き込み、宴会の残りのお菓子やらジュースやらを持ち込んで、卓球したり、宴会疲れのスタッフを相手に騒いでいる。この中学生トリオ、二人は前回も参加していたほとんど地元の13、14歳の中学生なのだが、今回初参加の13歳とすっかり意気投合、すばらしきやんちゃぶりを発揮している。 写真8 そういえば、昨日も夜中に騒いどったようで、「おまえら、昨日何時に寝たんや。」と聞くと、1時過ぎには寝たでえ、とおどけてみせる。ほんまかいな、と疑ってみるが、奥琵琶スポーツの森の手前5キロほどのフリー走行区間では、こっちが5分近くもハンデをもらっているのに到着までに追いついてくると言うパワーを見せる。
老練なテクニックよりも、がむしゃらな若さの方が通用する世界である。くやしい。

写真解説

  1. 栗見新田付近。手前は麦畑、向こう側は田植えの真っ最中である。遙か向こうに、愛知川の灌漑用水門が見える。ここよりもう少し行くと、水車がある。ここは高い建築物もなく、一面田んぼで、なかなかすばらしい風景なのだが、デジカメは風景向きではないことを思い知らされることとなる。残念。
  2. パンク修理風景。彦根市市街であろうか。今でこそ、パンク修理専任スタッフ(とゆー訳ではないのだが)が付いて、我ら実走スタッフはパンクにはわずらわされないで済むのだが、昔はいろいろと苦労させられたもので・・・(と話し出すと長くなるので省略。)
  3. 長浜城の手前あたり。この先、長浜城の公園の中を通って、新しく整備された湖岸道路へ抜ける。ここら辺が、今回、道路整備で一番短縮される区間。前回までは生活道路の細い路地を縫ったコース設定がなされていて、我ら実走スタッフの鬼門であった。
  4. ご存じ、海津大崎付近。地図で見ると解るのだが、海津大崎は半島状にせり出した地形で、琵琶湖有数の景勝地。穏やかな海岸線に砂浜、そして竹生島を望む270度の大パノラマが楽しめる。
  5. 宿泊地の海津天神ユースホステル。回りは田んぼばかりの静かなところ。ちょっと山手(??)の方に行くとマキノ高原、冬になるとスキーもできる(らしい)。ここのペアレントさんは、隣にある海津天神社の宮司さん。うまく時期が合えば、春祭りのお供えの樽酒が振る舞われるのだが。




5月4日(月曜日)

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この日は朝から青空が広がっている。予報でも一日晴れ。
6時起床。くだんの中学生トリオは眠そうな顔で起きてくる。
おまえら、昨日は湖岸まで朝日上るのを見に行く言うとったんちゃうんかい!!とからかいながら朝食。 写真9
出発は・・何時やったかな?とにかく、予定通りに出発。
マキノ、今津の町並みの中を抜け、松並木、湖岸ではテントが花盛り。
意外に近くに竹生島が見える。気温は低め、普通なら肌寒い程度だが、自転車で走っていると気持ちのいいすがすがしさである。
風もなく、この調子やったら、かなりのハイペースで行けるやろう、楽勝かな?と思う。が、この先、この考えの甘さを痛感させられることとなる。

最初の休憩地、新旭風車村で記念写真の撮影。そして、次の白髭神社まで、走行は至極順調である。

途中、自転車道の自動車進入よけのポールに一人衝突。ケガはちょっと手をすり剥いた程度で、自転車も異常なし。バンドエイドで治療??してすぐ出発。
こういういい天気で、景色のいいところだと、よそ見をするのか、ポールに激突したり、前の自転車に突っ込んだりするのが続出する。(スタッフも含め。)
ちゃんと前を見てればこんな事にはならないのだが、毎年、必ず数件はこういう小さな事故が起こる。今回は、この一件だけだった。
写真10

ところが、北小松あたりから、ちょっと雰囲気が怪しくなってくる。なんか、やたら車が多いのだ。
湖西のここらあたりというのは、すぐ近くまで山が迫っているような地形で、これ見よがしな開発もされていない一帯である。そのため、国道でもきちんと自歩道の区別のしてあるところも少なく、サイクリングのコースとしては、車道との競合を避けるために湖岸際や、線路脇、村の中の生活道路??と言った道を通っていく。しかし、今回はそれがちょっと裏目に出てしまったようである。路上駐車の列と車の通行待ちで思うようにペースを上げられない。
どうも、昨日の雨を嫌った観光客が大挙して押し寄せているようで、話によると、国道の方はすでに渋滞の嵐で、抜け道にこちらの方へ車が流れてくると言うことである。

志賀の駅で休憩にはいる。
いつもなら、ここでバナナとかの差し入れがあるはずなのだが、買い出しに行っている伊吹さんの車が渋滞に巻き込まれて身動きがとれないらしい。しかたないのでスタッフが近くの店で缶ジュースを買ってみんなに配っている。
和迩(わに)の駅前を経由して、小野、美空町の住宅街にはいる。そろそろ都会に入って来たという感じだ。
県道に出ると、前方に琵琶湖タワーの遊園地が見える。昼食場所の琵琶湖大橋ドライブインは大橋の手前、渋滞で動かない車をしりめに信号をわたっていく。昼飯までもうすぐ。 写真11

と、そこで、道ばたでパンク修理をしている女の子を見付ける。あれ?参加者??聞いてみると、本サイクリングには関係なく、たまたまここでパンクしたらしい。しかし、パンク修理の手元がどうもおぼつかない。話を聞いてみると、これから彦根まで行く、パンク修理の経験は、これが初めてだという。
こりゃ話にならんわいと、スタッフの浦松さんと相談の上、ドライブインまで連れてきて修理をしてやることに決定。こっちに連れてくりゃ、工具や空気入れも揃ってるしね。(何と言っても、女の子やし。)
で、昼食場所に到着。ところが、これまで遅れてきてしまったため、昼休みはそんなに時間はとれないと言う。慌てて昼食を取っていると、浦松さん、すでにパンク修理に掛かっている。
横で、昼メシ食わんとやったげるんか〜、とか冷やかしながら、んで、来年、琵琶湖一周参加せえへん??とか勧誘している。ついでに、オイラの住所氏名を教えたげたけど、最後まで、本人の住所教えてくれなんだなあ。ちえっ。

ドライブイン出発が2時頃、やっぱ、ちょっと遅れ気味である。琵琶湖大橋を渡り、湖岸道路に入る。やっぱりここでも行く手を遮るのは駐車車両。みんな、何気なく止めてるんだろうけど、自転車乗ってると、腹立たしいもの。困ったもんだ。
それでも、自転車道では渋滞することはないので順調に走行、予定通り、3時半頃、出発点でもある近江八幡YHに到着。 写真12

早速、閉会式の準備にかかる。参加者の人たちはジュースやバナナ(志賀の駅で食いそびれた?)が配られて、やっぱりハイになって、しゃべりあったり、写真を撮りあったり、閉会式会場はなかなかにぎやかである。
みなさん、ご苦労さんでした。中には、涙を浮かべている参加者も見受けられる。まあ、ちゃんと走りきったものね。これまで十回近く、この大会に参加してるけども、やっぱり、この時間がいい。
でも、ありがとう、お世話になりました、と、あんまり言われるのはちょっとこそばゆい。こっちもね、きちんと一周走ってくれた、いろんな思い出を持たせてくれた、と、みんなに感謝したいですから。
事務局長の伊吹さんから、完走証の授与があって、参加者/スタッフ全員で「琵琶湖周航の歌」の大合唱。

別れを惜しみながら帰路につく人、また手紙書くからね、と送迎車に乗り込んでいく人、あの中学生は家族が迎えに来ている、なんやおまえ、家族の前やったらえらいおとなしいやんけ。

みんな送り出して、やっと自分たちの自転車をバラし始める。輪行袋に梱包して車に積み込んでいく。もう6時過ぎ、あたりはすでに暗くなり始めている。
他のスタッフや、お世話になったYHのペアレントに別れを言い、帰途についた。
さあ、また来年・・・ 写真13
 

写真解説

  1. 出発直後の今津あたりの走行風景。早朝から、雲一つ無い快晴。ところで、このレポートの走行風景は後ろからのショットが多いのがお気付きだろうか。今回、後半に入ってから、私の走行配置が、最後尾担当になってしまったとこらへんにあったりなんかするのである。
  2. 休憩地点でもある白髭神社。白髭神社はまた比良明神ともいう、近江最古の大社で、現在の本殿は慶長八年(1603)に豊臣秀頼、淀君が建立し、後に改築された拝殿と一体になって特殊な桃山建築の美を見せている。背後に比良の連峰をひかえ、鳰鳥がのどかに浮かび、湖面に立つ朱の大鳥居の影が水にゆれる清楚な美しさは、安芸の宮島を彷彿させる。(神社内の立て看板、『謡曲「白髭」と白髭神社』からの抜粋。丸写し、ともいう。楽でええわ〜)
  3. 近江舞子あたりだろうか。連休で快晴、その上、前日は雨だった(??)、と言う悪条件が重なった。いつもなら、キャンプやジェットスキーを楽しむ人々でにぎやか、と言う印象なのだが、この日は国道から流れてくる車の波に振り回されている。実走スタッフは状況を見てこまめにルートを変えていくものの抜け道の少ないここらあたりでは限界がある。
  4. 美空町の新興住宅地での走行。向こうの方に琵琶湖大橋が見える。ここまで来ると、やっと帰ってきたという安堵感と、また帰ってきてしまったという寂寥感が入り交じった不思議な感慨が胸を満たす。
    んで、10回以上もスタッフやってると、琵琶湖大橋を見ると妙に腹が減ってくる。だってねえ、年に一度、ここに来る時って、ひるめしひるめしひるめし〜と、頭の中で叫びながらペダルこいでんだもん。
    ・・・ほとんどパブロフの犬状態ですな。
  5. やっと帰ってきました。琵琶湖一周完走認定証の授与風景。
    ここまでくると、参加者の人たちはみな友達同士、と言ってもおおげさではない。住んでいるところも遠く離れ、見知らぬものどおしが、これだけの人々と、たった二日やそこらで、ここまで仲良くなれる。普段なら、あまり考えられないことではないだろうか。
    本大会では班の編成を行うとき、出来るだけ、知り合いとか、友達どおしは同じ班にしないようにしている。なぜか。友達がいつも横にいると、他の人々と関わり合いになるチャンスが少なくなるから。目を外に向ける機会が少なくなるから。
    最初は文句を言われることも多々あるのだが、いつも、完走した後ではそんなことはすっ飛んでしまっている。友達どおしで、またそれぞれ違う琵琶湖一周を語り合うってのも、またいいもんではないだろうか。

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Written by Kaneko Yasuhide

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